About Me

みきGYの物語

はじめまして

現在アーティストさんヒーラーさんを中心に

寄り添いサポートをしている

ブランディングプロデューサーの

みきGYです

心臓病と潰瘍性大腸炎を抱える

夫を支えながら

反抗期の息子2人を育て

脳梗塞から認知症になった

母の介護もしていた

ワーキングママです

■冒頭~どん底から

私がやらなきゃ

家事も子育ても仕事も誰もしてくれない!

ひとりで頑張るしかない!

という状況で

会社に勤めて残業して

1日24時間じゃ足りない日々…

子どもたちは、習い事をしたがったり

ゲームを欲しがったり

経済的にそんな希望に応えてあげられず

子ども達が寝静まった後

いつまでこんな状況が続くんだろうと

不安や情けなさから

一人でこっそり泣く日もありました

少しでも余裕がある生活をと

日々のスキマ時間を使って

もっといい仕事がないか

求人情報を探しても

家族の為の急な休みがあるため

なかなか条件の合う仕事が見つからず

在宅ワークを考えるようになりました

オンライン上には様々な

在宅ワークや副業方法を宣伝していて

動画や記事を見ても

騙すような、誘い込むような・・・

何を信じていいのかわからず

なかなか一歩踏み出せない状態

確実に騙されないスクールを見つけ

少ない貯金からなんとかひねり出し

有名で高額授業料がかかる

オンラインビジネススクールを

受講していました

HPや会員サイトなどは

かなり整備されており

大量の動画を自分で見ていく方式で

たくさんの参考資料もありました

しかし、ほとんど相談する機会がなく

どんな手順で起業したらいいのか

全くわからないまま

常にひとりぼっちの手探り状態で

自分のオンラインビジネスを

立ち上げるなんて

想像もできないような

レベルのままでした

その後も

ビジネス本をたくさんを読んでみたり

知識は学んだものの

思うように在宅ビジネスを起業できず

貯金も底をついていき

もうダメなのかなと

挫折を感じ

今までどおり仕事・家事・子育てを

とにかくやっていくしかない日々でした…

しかし、大きな転機が訪れました

久しぶりに親友と会うことになり

私がオンラインビジネスを学んでいて

今後は在宅で仕事をしていきたいのだと

彼女に相談してみました

すると、彼女がきっかけとなり

あるアート作家さんとの出会い

そして、

ネットビジネスの先生との出会いを

繋いでくれたのです

急に人生が変わり始めました

そのネットビジネスのプロ

である先生によって

仕事・家事・子育てをしながらでも

寝る前の1時間だけ

高額な授業料を払っていた

オンラインスクールでは得られなかった

効率的で私に合う方法で

ネットビジネスの基礎を学び

ブランディング・プロデュースで

お金を稼ぐ仕組みを学びました

自宅にいながら

家族のこともお世話できて

自分の好きなことを強みに

人の夢や理想を叶えることができ

そのうえ感謝される

家族を守っていくのに

十分なほどの収入も

手に入れることができる

その辺にいる

ふつうの主婦の私でもできた

ブランディング・プロデュース

ではなぜ、

ブランディングプロデュースで

アート作家さんや職人さんの

こだわりや価値の本質を理解し

その夢や理想を

叶えていきたいと思ったのか?

私がオンラインビジネスで

ブランディング起業をはじめた

きっかけや今の取り組み

また、

今後目指している世界についても

具体的にお伝えしていきます

今までの自分に正面から向き合い

強い信念をもって

突き進んでいくために

わたしの想いや経験を

さらけ出していきます

もし、これを読んでくださって

少しでも私の考えや経験に

共感していただけると嬉しいですし

深い意味でのビジネスに対する考え方を

共有できたら良いな、と思っています

それでは、みきGYの

私がどんな環境で

どのような経験をしてきて

今に至るのか

育児と家事と仕事に追われて

時間もお金にも余裕がなかった状態から

価値やこだわりを世界に伝えて

効率良くお金を稼ぐ仕組みや

本当の意味での心の自由を

感じられる世界について

綴っていきたいと思います

かなりの長文になりますが

最後まで読んでいただけると

うれしいです

◼️嫌でもとにかく「休むな!」と言われて育った幼少期

歳の離れた兄がいて

妹として育ちました

愛情深く天然ボケの母と

無関心で少し冷たい父

よくケンカをする両親の

手と手をつながせたりして

どうにか仲直りさせようと

がんばっていた幼少期でした

外では恥ずかしがり屋で

自分から人に話しかけたりできない

静かな女の子

現在のよく食べる自分からは

想像がつかないのですが

食が細く、唯一の好きな食べ物が

「梅干し」www(今でも大好き)

幼稚園の面接で好きな食べ物を聞かれ

母親が恥ずかしい思いをした

と言われました

ごはんを食べるのが遅く

幼稚園では

昼休みになっても食べ終わらず

椅子をテーブル代わりに正座させられ

みんなが遊んでいるなか

泣きながら廊下でひとり

お弁当を食べさられていました

昭和時代の幼稚園の先生の

強さ怖さに怯えながら

園では言われたことを

正確に守る生徒を装っていました

(本当は適当な性格だったのに。。。)

友達はたくさんいて楽しかったのですが

とにかく、先生が苦手で怖くて

毎朝のように登園拒否をして

泣いていた覚えがあります

結局母に無理やり連れて行かれて

1日も欠席することなく

でも泣き叫びながら登園していました

小学校に入ってからは

学校の成績が悪くても

叱られることはありませんでしたが

休むことに対しては厳しく

「学校に行きたくない!」と

泣いてもわめいても

玄関から押し出され

鍵をかけられてしまい

小学校に行くしかありませんでした

とにかく嫌でも休めないという状況や

両親の不仲から

常に自分一人でもやっていかなきゃ

という、変な覚悟をもっている

でも、決して明るい子どもではなく

おとなしい女子のままで

小学校を卒業しました

◼️おとなしい自分の殻を脱いだ部活動

中学校に入学後

野球部にいるカッコイイ先輩が見えるから

という不純な理由が決め手となり

ソフトボール部への入部を決めました

先輩後輩の上下関係が厳しく

少しでも先輩への挨拶が遅れると

呼び出されて説教をされていました

また、靴下の履き方や制服のリボンの結び方など

先輩が気に入らないと呼び出され

怒られていました

そういう理不尽体験から

自分はぜったいこんな人間にはならないと

心から思っていました

上下関係が厳しい割には

とても弱いチームで

練習も適当な感じでした

中学2年生のときに

新しく赴任してきた先生が

ソフトボール部の顧問になりました

試合では全く勝てない

弱小チームの私たちに

基礎的な動作を練習したり

近い距離でキャッチボールや

ゴロを取って投げる

という簡単な練習を

毎日繰り返し教えてくれました

体格が良かったという

理由だと思いますが

ピッチャーに選ばれた私は

長かった髪の毛をショートカットにして

走り込みや筋トレを毎日欠かさず続け

不純な理由で入部したことも忘れ

ソフトボールの魅力に

引き込まれていきました

顧問の先生は

ソフトボールのルールや筋トレの

本のコピーを用意してくれて

練習だけでなく座学でも

その練習の意味を説明してくれたり

簡単な練習や筋トレでも

地道に続けていくことが大切だと

教えてくれました

ちなみに、1日筋トレを休むと

3日分頑張って鍛えた筋肉が

後退すると教えられ

自宅でも鉄アレイや握力グリッパーで

休まずコツコツとトレーニングを続け

腹筋・背筋・腕立て伏せを

毎日続けた結果

腹筋はシックスパックに

脚や腕もムキムキ状態に(笑)

ピッチャーとしても

少しずつ速く正確なボールが

投げられるようになっていきました

ある日 部活の練習が終わって

いつものようにショートカットの髪型で

制服のセーラー服に着替えてから

帰宅していると、

4〜5歳の女の子の遊んでいたボールが

私のところに転がってきました

その子は私の目を見ながら

「お兄ちゃん ボールとって!」

と叫んだんです

一瞬振り返って周りを確認しましたが

お兄ちゃんはどこにもいなくて

私だけ。。。

私は スカートをはいているお兄ちゃん

と思われたのでしたww

男子化するぐらい鍛えていたので

仕方がないか

と開き直った瞬間でもありました(笑

おかげで更にソフトボールに

打ち込むことに。。。

その後も、先生に教えてもらいながら

チームメイトとの練習を続けていました

仲良く練習できる日もあれば

ケンカして口をきかなかったり

特にキャッチャーの子とは

よく練習中にケンカをしてました

しかし

一旦試合がはじまると

いつの間にか

勝つためにお互い力を合わせていて

意見の違いがあってケンカしても

目的が同じであれば

助け合って目的に向かって頑張る

という事を自然と学んでいた

のかもしれません

その後も

先生や仲間のおかげで

技術的にも精神的にも

チームのレベルが上がっていき

結果的に、区大会優勝、

市大会3位、県大会出場という

練習試合でさえ全く勝てなかったチームが

県大会にまで勝ち進むことができたという

大きな成功体験を経験しました

これがきっかけで

内気で自分から発言できなかった私が

明るく本来の自分を出せるようになって

いったのです

中学3年生の夏、部活動を引退したあと

高校入試に向けて志望校を決め

本格的に受験勉強を開始し

塾に通い始めていた頃

驚いたことに、

3つの高校から

ピッチャーとしてソフトボール部に

来てほしいと声をかけていただき

そのうちの1校に進学することを決め

高校でもソフトボールを続けることに

顧問の先生が土日も休まず

ソフトボールを教えてくれたおかげで

高校からも呼んでもらえるような

ピッチャーになれたんだと

感謝しかありませんでした

ソフトボールのセンスなど

全くなかったのに

この体験から

指導してくれる人が

どれだけ重要かということを感じました

この先生に教えてもらっていなかったら

ソフトボールの上達もなかったでしょう

そして精神的な成長もなかったはずで

今でもこの先生への感謝と尊敬の念は

持ち続けています

◼️学生時代ボロボロに

高校入学後は

成績はさほど悪くなかったのに

ほとんどに勉強せず

部活で疲れて授業中は

ボケーっとしていたので

どんどん成績がわるくなり

体育が得意な

典型的な体育会系女子になっていました

ソフトボール部には

女子コーチとして

体育の先生が教えてくれることもあり

体育の授業でも

部活でも

その明るく前向きな先生の影響で

体育教師になってみたい

ソフトボール部の顧問になって

子どもたちに教えたい

というぼんやりとした

気持ちをもつようになっていました

そんな矢先

過度の練習やトレーニングで

腰に負担がかかり

腰椎椎間板ヘルニアを発症

足の感覚がなくなるようになりました

トイレに座っても座った感覚がなくなって

立てなくなっていました

無理をすると

今後出産が難しくなるかもしれない

と病院で告げられました

幸いにも静養とリハビリで

手術は避けられましたが

その後、バランスが悪くなった身体で

ソフトボールを続けていたせいもあり

右膝靭帯断裂と半月板損傷という

大きなケガをしてしまいました

2ヶ月の入院生活

手術をしたあと

退院後もリハビリ生活が1年ほど続きます

腰も膝もボロボロの状態で

本格的な運動や

過度なトレーニングをすると

自分の身体をもっと

痛めつけることになってしまう

体育教師になる夢をあきらめるように

自分の心を閉ざしてしまいました

将来について悩み

家族にも友人たちにも

この夢について話すことは

ありませんでした

夢を追うことをあきらめた

自分への後ろめたさと

壁にぶち当たったような

喪失感がありました

そこから何に対しても

やる気がなくなり

目標もなくなり

自分が何をしたいかも

わからなくなっていました

その後の学生時代は

法学系のことを学んでいましたが

夢もなりたい職業もないまま

魂が抜けていたかのように

勉強もほとんどせず

フラフラしていました

夜遅くまで友だちと遊びに行き

目的なく毎日を過ごしていた時期でした

◼️暗黒時代からの脱出

その後

特にやりたい事もないまま

金融機関に就職

いろんな業務を担当させられましたが

なかでも、苦情クレームの担当をした3年間ほどは

メンタルがボコボコになりそうな言葉を聞きながら

最初は、どうしてこんな辛い業務をしなきゃいけないんだろうと

学生時代から引きずっていた

挫折感とやる気のなさで

何に対してもネガティブに考えるようになっていました

会社に行きたくない!と

だんだんお腹が痛くなる日もありましたが

幼稚園からの「休むな!」が擦り込まれた私は

休むことができず

嫌でも仕方なく目の前のクレームや苦情の対応をしていました

しかし、ここでも良い指導をしてくれる先輩に恵まれたのでした

言葉の裏側にあるお客様の心理や要望を

考え理解することが大切で

ひどい言葉を使わないと

気持ちを表現し伝えられない状況だから

その奥にある本当の気持ちを引き出すことが必要なのだと

教えられました

そういう考え方を教えられたおかげで

今までの嫌だった気持ちが

スーッと消えていき

お客様のクレームや苦情はいつも通りでしたが

自分の受け取り方がかわり

この仕事が楽しいとさえ思えるようになっていき

今までの挫折から抜け出すことができたのでした

◼️想定外の海外生活へ

しばらくして

担当業務が変わり

まさかの

私の大嫌いな英語を使った業務を

することになったのです

私は中学時代から英語が

かなりの苦手で

できれば英語には関わらない生活がしたい

と思っていました

この業務をすることになり

どうしよう!無理!

英語をちゃんとやっておけばよかった!と

かなり後悔しました(T_T)

勉強はやっておいた方がいいのだと

おとなになって実感した瞬間です

人生何が起こるかわからない。。。

自分が適当にやってきたことを

反省しました

その後はご想像どおり

今のようにGoogleもChatGPTもない時代

わからない単語は英語辞書を一つずつ調べ

当時の最先端の電子辞書を使っても

私だけいつまでも仕事が終わらず

周囲にもかなりの迷惑をかけていました

できない自分が情けなく

恥ずかしい気持ちで

仕事をしていました

2週間ほどたったところで

耐えられなくなり

当時のCMで駅前留学できるという

英会話学校に通い始めました

しかし、もともと英語が苦手だった私は

ぜんぜん上達せず

しまいには英会話の先生と

日本語でおしゃべり

通っている意味が全くない状況に・・

このままでは

できない自分は変わらない!と思い

これは海外に直接行って学んだほうが

良いのかもしれない!と

会社を退職して

一人留学することを決めました

その時までに貯めていた全財産を使って

海外に飛んだのでした

現地の学校には

さまざまな国から英語を学びに来ていて

国際色豊かな友人ができ

それぞれのお国柄を

感じることができました

学校では自分の国の言葉を

話さないルールで

つたない英語力でやっていく

しかありませんでした

最初は全く理解できず

かなりストレスを感じながら

毎日のレッスンや宿題など

必死にやっていましたが

徐々に慣れてきて

クラスの友人たちと

遊びにいく約束をして

学校が終わったあとも

英語漬け状態を保っていました

改めて感じたのは

日本人は時間と約束をきちんと守ってくれること

他の国の子達は遊びに行く約束をして

時間と場所を決めても

その時間にはまず来てくれません

予定変更を勝手にしてしまうことも多くありました

また、近くのスーパーに行くと

カートを押している家族がいて

お会計が住んでいないスナック菓子を開けて

食べながら買い物しているという

衝撃の光景を見ることもありました

バスや電車できれいなお姉さんが

バナナを食べていたり・・・ww

いろんな面で日本の常識が

世界の常識ではないことを思い知らされました

3ヶ月ほどホームステイでお世話になったあと

現地の生活にも慣れてきた頃

学校から近い場所に部屋を探すことにしました

空き部屋があるビルの住所を書いたメモをたよりに

(当時はスマホがなくGoogle mapも使えずww)

一人でウロウロしていると迷子になって困っていました

たまたま、病院の職員用通路から出てきた男性に

道を教えてもらったのでした

(のちに、この男性と私は国際結婚をすることに・・)

その時にメール交換し

あとから道案内のお礼文を送ってから

メールや電話のやりとりをするようになりました

数日後、無事に希望の部屋が見つかり

ホストファミリーに別れを告げ

学校近くの部屋でルームシェアをして

新しい生活を始めていました

ホームステイを出て数カ月後

実は私のホストファミリーだった夫婦が

麻薬の密売人だったことが発覚

逮捕された衝撃事件がありました

私もホームステイしていたことで

疑いをかけられそうになりましたが

「部屋探しの道を教えてくれた男性」が

偶然にも警察の友人で

私が関係していない事を

説明してくれて

事なきを得ることができました

現地で1年ほどビジネス英語を学び

日本にいたら経験できなかったことを

たくさん体験したあと帰国しました

◼️甘く見ていた壮絶な人種差別

帰国後に運良く同じ職場に戻ることができ

英語を少なからず活かせるようになっていました

前の自分ができなかった仕事ができるようになり

海外でのいろんな経験が

自分の自信となっていました

その後も2年ほど働き続けましたが

留学時に知り合った

道を教えてくれた男性とは

その後もメールや電話で遠距離恋愛をしていました

しばらくして、その男性と国際結婚

海外での生活が改めてスタートしました

しかし、そこでの壮絶な人種差別を経験

毎日家の前にゴミや虫を置かれたり

ポストから手紙を盗まれたり、タバコを投げつけられ

警察や裁判沙汰にエスカレートしたことも

妊娠後はペンキで赤く汚されたオムツを玄関の前に置かれたり

日本人であることが

そんなに認められないことなの?

自分の性格だったら変えられるかもしれないがけれど

肌の色も見た目も変えられず

そこを嫌われてもどうしようもできない

今まで培ってきたメンタルはズタズタに打ちのめされました

留学していた時は

他国からの学生の1人だった私

結婚後は現地で生活する

嫌なアジア人と思われていたのでしょうか

日本での常識が通用しない場所

そんな環境での出産と子育て

そして、我が子も幼稚園でいじめの対象に

階段や滑り台のてっぺんから突き落とされたり

冬には大きな固い雪の塊を顔面に投げつけられて

大きなケガをしました

先生たちもいじめや差別をしてくるという極悪環境でした

長男は間違いなく大きな心の傷を負っていました

そんな状況を助けてくれる人も少数いましたが

毎日恐怖と緊張が続き、私はストレスで潰瘍性大腸炎になり

大腸がんも発症していました

子どもを守ってやることができなくなるぐらい

メンタルも健康もボロボロになり

夫と話し合った結果

私と子ども達だけ日本へ生活環境を移すことにしました

◼️経済的に苦しい日々

日本では

周囲の人たちの心の温かさを身にしみて感じました

基本的に日本のほうが差別の意識が少なく

平等に接してくれると感じ

いつの間にか、心も体も回復し始めて

安心して生活ができるようになりました

その後、海外にいる夫が心筋梗塞で倒れ、

潰瘍性大腸炎も発症

彼は仕事を続けることができなくなりました。

病院や薬代を払うことも難しくなり

経済的に非常に厳しい状況に追い込まれました

私は主人の病院費用をカバーし

しかも、食べ盛りの男子が2人

コールセンターで働いていましたが、お給料も決して多くはなく

家計は常に足りない状態でした

そんな中、幸運にも管理者の職に空きがあり

管理者として働くことができるようになりました

日々のコールセンターの管理業務の他、

オペレーターさん達の成長をサポートする研修講師として

日々の責任と業務量に苦戦しながらも、

家計は少しずつ楽になっていました

しかし、朝8時に家を出て、夜9時や10時過ぎに帰宅する毎日

帰宅後も家事や子どもの世話に追われ

自分の時間も子どもとゆっくり話す時間も

全くありませんでした

同じころ私の母が脳梗塞から認知症になり

自宅での介護生活もしていました

子どもの世話だけでなく

母のお世話も

家事や仕事も・・・

いくら時間があっても足りなくなっていました

その後、母の症状は進み自宅では看てあげられなくなり

施設にお願いすることになり

定期的に面会にいく日々になりました

さらに、追い打ちをかけるように

次男に右眼の病が発覚

徐々に視力が奪われていく病気で

定期的な通院と入院が必要になりました

◼️人をサポートする喜び

そんな中でも、

私は管理者・研修講師としてオペレーターの成長をサポートすることに

生きがいを感じていました。

知識と技術を伝え、彼らが成功して目標を達成してくれることに

私自身も喜びを感じていました

人をサポートすることが私の喜びだと気づいたのです

私が未熟だったり困っている時には

運良く指導してくれる人に出会い

そのたびに救われ成長させられてきました

また

体育教師になって

人に教えたりサポートすることが

私の将来の夢だった事も思い出し

今後は、夢や希望を叶えたい人のサポートをしていくことが

自分のやりたいことだと確信しました

しかし

仕事をしないと子どもたちを養えないけれど

職場に行って長く家を空けると子どもと接する時間が全く取れず

病気で不安になっている子どもの心に寄り添ってやれない

申し訳なさや自分の不甲斐なさを感じていました

少しでも長く家族の側にいてあげたいという思いと

人の成功や夢を叶えていきたいという思いで

在宅でもできる

オンラインビジネスの事を調べ始めていました

高額な金額を支払って

オンラインビジネスのスクールに参加したり、

ビジネス本を読みあさり

また在宅の求人を探しながらも

会社員を続けていました

貯金は底をつき

やっぱり無理なのかなと

挫折を感じながらも

新しい挑戦に向けて

とにかく自分ができることを

やっていくしかない!

という気持ちだけは

ずっと持ち続けていました

◼️アート作家さん・オンラインビジネスのプロとの出会い

ぜったいに私が生計を立てていかないと

家族を守ってあげられない!という崖っぷちの状態でした

オンラインビジネスを成功させたい気持ちを

アーティストである親友に話したところ

彼女のアーティスト活動のお手伝いの仕事をすることになり

さらに、親友の友人であるアート作家さんを紹介してくれることになりました

そのアート作家さんとの対話が自分を大きく変えることとなりました

その作家さんは、魂を込めて作品づくりをしていて

本当の意味で心からの美しさを発信していて

世界に対しての価値観や願いにも

共感できる部分がたくさんありました

そんな素晴らしい作品づくりができる方にも

悩みがあることを知ります

以前と比べて景気が悪くなってから

作品が売れなくなり

別の仕事をしなければいけなくなったとのこと

収入がなければ作品の材料さえ買えず

また、別の仕事をすれば

作品づくりにかける時間もなくなってしまう

宣伝広告しようにもお金も時間もない状態で

負のループになってしまう

このような作家さんの悩みを知り

ふと、自分の息子の事を思い出しました

次男は絵を描いたり作ることが大好きで

プログラミングや創造力を伸ばす系の

習い事のチラシをもらって帰ってきては

「習っていに行ってもいい?」、、

と私に何度かお願いしたことがありました

他のお友達は、その後、その習い事を始めていたそうなのですが

うちの経済状況はかなり厳しく

仕事で送迎もしてやれない

もう少し大きくなったらね!などと言って

その場をやり過ごしていました

可能性があっても

それが活かせない現実があるということ

なんとなくアート作家さんの状況と

我が家の状況とが重なって

アート作家さんや職人さんの

サポートをしていきたいという

気持ちが強くなっていきました

ちょうどその頃、親友の紹介で受けた講座の先生方との出会いから

私のビジネスをサポートしていただけることになったのです!

よくある大きなビジネススクールの

上辺だけのブランディングやマーケティングの方法ではなく

このオンラインビジネスのプロの先生は

心理的で人の感情を動かすことできる

ブランディングやマーケティングを

教えてくださいました

ここでもまた

私が成長するために

すばらしい方々が

教えてくれるという状況になり

奇跡としか言いようがなく

なんて恵まれているのだろうと

いつの間にか涙がでていました

同時に

人々の悩みに寄り添いサポートして

夢や希望を叶えていきたいと

改めて強くおもいました

◼️みきGYが思い描く今と未来

今まで本当にどうしようもないような

大変な状況を体験しました

心も体も打ち砕かれてしまって

先が見えない時期もありました

日本の外に出てみて厳しさや理不尽さも沢山感じました

そんな体験があったからこそ

改めて、自分が存在していることがありがたく

どれだけ恵まれているか気づきました

だからこそ

この世界へ恩返しをしたいと思っています

もっと優しい気持ちを持った人が

世界中に溢れれば

差別や犯罪、ひいては戦争など起こらないと感じます

微力ながら

Pay It Foward (ペイフォワード)の精神で

世界をより良いものにしていきたいのです

■心の豊かさを広げるアート

価値あるアート作品なのに

世間は不景気になり

なかなか以前のように作品を買ってもらえなくなっている

雑務もしなければいけないので

作品づくりが進まない

作品が売れないので

次の作品を作る資金が足りない

など、アート作家さんや職人さんの

悩みに寄り添って

それを解決し収益化していくサポートをしたい

私自身

母親・主婦・会社員をしても

お金も足りない・時間もない

という状況で

どうしたら、これらを解消できるのかという

アート作家さんの悩みと共通する部分もあるのです

自分の強みを活かして

ブランディングビジネスを成功させて

たくさんのアート作家さんたちの

素晴らしい作品を世界に発信していきたい

アート作家さんが自分で

ブランディングビジネスをしようとすると

簡単そうでなかなか難しい部分もたくさんあると思います

今の時代パソコン一つで

SNSに作品を載せて販売することもできるし

簡単だと思われるかもしれません

でも、世の中には

たくさんの商品や作品が溢れていて

どれも同じように見えてしまうのです

だからこそ、

◎こだわり

◎独自の世界観

◎アーティストのキャラクター

◎今までの経験

など

あなたらしさや

あなたやあなたの作品の

「個性」が重要になるのです

その価値のある「個性」を

言語化しストーリー化していくことが

ファンを作り収益化につながっていくのです

まずは、ターゲットを決め

ターゲットの悩みを分析

競合のリサーチ

ビジネスの軸となるコンセプトメイク

売上や収益の計画

ブログやホームページを準備

SNSやブログやメールマガジンLINEで

人々に自分の作品を知ってもらって集客

キャッチコピーや広告ロゴをデザイン

セールストークも自分でする

支払いの手段を整備(電子マネー・クレジットなど)

収益化をしていくには

それぞれの状況に応じてですが

上記のような事をしていく必要がでてきます

自分はアート作家なのに・・・

職人としてより良い作品を作り続けたいのに・・・

でも、現実では

何でも屋さんのように

自分で1から10まで

すべてをやっていかなければいけない世界

とても大変ですよね

アート作家さんの達をサポートすべく学んだ

ブランディングプロデュースで

効率的な収益化を実践していっています

魂を込めて、自分の子どものように大切に作った作品を

世界に発信してくため

私は、あなたの「こだわり」「独自の世界観」を

言語化して、その良さが世界に届くように

伴奏していくブランディングプロデュースをしています

ひとりで全部を背負おう必要はありません

作品づくりに集中して

他の事は、その道のプロに丸投げしてしまっていいのです

自分らしい生き方をしていいと思っています

いつも笑って幸せに生きてほしいと願っています

そんな思いで毎日

アート作家さん・職人さんの

ブランディングプロデュースのお仕事をさせてもらっています

長文になってしまいましたが

自分の人生の振り返りをまとめてみました

「頭の良」さや「才能」ではなく

「行動」し、それを「やり続けていく」ことが

成功へつながっていきます

ぜひ、今の状況を変えるために

行動してみませんか?

最後までお読みいただきありがとうございました✨

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